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「親権」から「親責任」へ

  1. 親から虐待を受け保護された子どもの代理人として、親と交渉する役割を担うことが多々あります。子どもは、親から身体的虐待、または心理的虐待を受けて、命からがら逃げて来るのです。保護された子の安全のため、親子の関係改善を図るため、とても一朝一夕で親元に子どもを返すわけにはいかない状況がそこにあります。
  2. ところが、お子さんを保護した旨を親に伝えると、「自分は親なのだから、いますぐ子を引き渡せ。」「親権者なのだから権利がある。子に逢わせろ。」等と言われることが良くあります。子が虐待をうったえていても、自分の行った行為が「虐待」だと認め、自覚反省している親は少なく、大抵は「しつけ」だとか、「親の権利」などとおっしゃいます。
  3. この「親権」と言う言葉、そのまま読むと「親の権利」が主眼であるかのように思われがちですが、そうではないのです。確かに、日本では、父親が家長として権力的に子を支配し、子がそれに服従すると言う考え方がされていた時代があります。しかし、家父長制が終了し新しい家族法が制定された現代では、「親権」は「権利」としての側面より、むしろ子の利益を守る親の「義務」としての側面が強調されているのです。1989年に国連で採択された「子どもの権利条約」でも、子自身に成長発達する権利があることが認められており、親は子を保護養育する「義務」を負うことが規定されています。イギリスでは、親として子どもに責任があると言う点を強調するため、「監護権」から「親責任」と言う言葉に変更されていますし、ドイツでも「親の権力」から「親の配慮」に変更されています。
  4. 親は、子どもの健全な成長発達をサポートする義務を負う者として、時には「しつけ」のために子を叱ることも必要でしょう。しかしながら、「しつけ」はあくまで子の健全な成長発達を促すために行われる「指導」なのです。そこに親自身の怒りの感情やイライラが入ってしまったら、あるいは暴行に及んでしまったら、それは既に「しつけ」ではなく「支配」であり「虐待」なのです。
  5. 中川善之助先生は、「親権後見統一私案」として、「いっそ親権というような権力的な用語はやめて、親もやはり後見人とし、子供があればだれがこれを後見するかという問題として考え」るべきだとおっしゃっています。私も、子どもの成長発達権を第一に考え、そろそろ日本でも「親権」から「親責任」などの言葉に変更すべきではないかと思うのです。

弁護士 田畑智砂
2018/10/13


子どもの日記を見たら違法?

  1. 交換日記のトラウマ
    小学校高学年の頃、同級生の女子数名と交換日記をしていました。今のように携帯もラインもない時代ですから、友人とのメッセージ交換ツールとして、交換日記はとても重要なアイテムだったのです。好きな男の子の話題や、ちょっとだけ性的な話題になることもありましたが、今考えても、思春期相応のたわいもない話ばかりで、問題視されるような記載は何一つなかったと確信しています。ところがある日、一人の友人の親が勝手に日記を見て、「まだ小学生なのに男の子のことばかり書いていて問題だ!」と憤慨して私の親に電話してきたのです。私の親は、友人の親に指摘された手前、日記を見せるようにと私を諭したのですが、私はこれを断固として拒否。絶対に見せませんでした。「なんで私たちの日記なのに、親に見せなくちゃならないの?」あの時、上手く伝えられなかった小学生の私を代弁して、弁護士である今の私が法律的に意見主張しようとするなら、以下のようになるのだと思います。
  2. プライバシー権の侵害であること
    プライバシー権は、憲法13条の幸福追求権を主要な根拠として判例・通説によって認められている権利です。他人の交換日記を勝手に見るのは、その他人のみならず、日記の相手方のプライバシー権をも侵害する行為です。そして、プライバシー権を含む基本的人権は、子どもも大人と同様に享有していますから、子どもの交換日記を勝手に読む行為も、その子どもと相手のプライバシー権を侵害する行為なのです。
  3. パターナリスティックな制約
    でも子どもが危険な交際をしたり、いじめや犯罪に巻き込まれないように、監視すべきではないか、そのために交換日記を見るのは構わないのではないか、と言う意見もあると思います。法律用語ではこれを「パターナリステックな制約」と呼びます。パターナリズムとは、平たく言えば、子どもはまだまだ判断能力も乏しく未熟なので、本人の利益のために、本人の権利を制限しても良いと言う考え方です。未成年者に飲酒喫煙が禁止されているのも、深夜の外出が制限されているのも、このパターナリスティックな制約の一つです。しかし、忘れてはならないのは、そもそも、子どもも大人と同様に人権享有主体であり、子どもの人権も最大限に尊重されなければならないことです。ですので、パターナリスティックな制約は、「成熟した判断を欠く行動の結果、長期的に見て未成年者自身の目的達成能力を重大かつ永続的に弱化せしめる見込みのある場合」に限って正当化されると解されています(限定されたパターナリスティックな制約)。
  4. 子どもを信頼すること
    今の私が当時の私に戻ったら、私たちの交換日記を見ることは「プライバシー権の侵害である。パターナリスティックな制約としても正当化されるものではない。よって日記は渡さない。」と親に意見するのでしょうか。 いえ、法律論で親を論破したかったわけではないのです。結局、当時の私は、親が自分を信頼してくれていないと思ったことがショックだったのだと思います。私の親は、友人の親から指摘されたから、と言って日記を見せるように言ったのです。私の親が、なぜ私を信じてくれなかったのか、なぜ友人の親に対して「この子たちは大丈夫だから、信頼してあげましょう」と言ってくれなかったのか、それが悔しかったのだと思います。 私も今や3人の子の親になり、子どもたちは交換日記ならぬスマホのラインで日々情報交換をしています。「大丈夫なの?」「誰と何話してんの?」と聞きたい気持ちをぐっと抑え、まずは子を信頼し、適度な距離感をもって見守ってあげたい、と、交換日記世代の私は思うのです。

弁護士 田畑智砂
2018/4/5


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